「谷川俊太郎 未来を生きる人たちへ」

詩、ことば、文学

4月30日

 4月28日から30日の朝日新聞朝刊の文化欄に三日連続で、「谷川俊太郎 未来を生きる人たちへ」というインタビュー記事が載っている。また、より詳しいインタビュー全文が、WEB版朝日新聞デジタル「プレミアムA」で公開されている。同じようなインタビューとしては、過去に「詩人なんて呼ばれて」(聞き手・尾崎真理子 2017年 新潮社刊)という本も出ているし、特にそれと変わったことを語っているわけでもないが、今、92歳の彼が何を語るかはやはり関心を持たざるを得ないところだ。

 「いきる」と題した初回では、いきなり車椅子生活の話になる。WEB版では「車椅子は便利だけど、吉本隆明のようには乗りこなせないね。講演中、舞台の上で車椅子をグルグル回しながら話していたように記憶してますね。彼は、肉体を持った存在として、作者そのものにも少し目を向けてほしいと思ったんじゃないかな。僕にはそういう気持ちはないんですね。わりと昔から、自分自身に関心がないんです」と吉本隆明を引き合いに出しているが、これを文脈通りに解すれば、「自分は作者として、肉体を持った存在として認識されたいとは思わない」と述べていることになる。作者はあくまで裏方で、前面に出るものではないという考えだということだろうか。
 「自分に関心がない」というのもかなり以前から公言していたことだ。若い頃から離人症的な傾向があるとも語っていた。加えて今回は「生きている意味もなくていいと思える」とも言っている。どんどん仙人みたいになってゆく。
 「はなす」では、「みんな自己表現ってことをすごい大事にしてますよね。僕は最初からそれが疑問でした。大体、表現できる自己なんてものが自分にあるのかなって。(中略)僕には、自分の言いたいことはないんですよ、簡単に言えば。みんな、自分には言いたいことがある、それを表現できるって信じているんじゃないかな。僕は、言いたいことがあってもそんなに簡単に言葉にはできないと思ってるから」
「あいする」の回では、「よく映画やドラマなんか見てて、嫌いな人を殺したりするじゃないですか。あれが全然わかんなかったね。人を1人殺したくなるぐらい嫌いになるってどういうことなんだろうと思ってた。あらゆる感情が淡いですね」とも述べている。

 「つながる」と題する最終回は、

「私はただかっこいい言葉の蝶々を追っかけただけの/世間知らずの子ども/その三つ児の魂は/人を傷つけたことにも気づかぬほど無邪気なまま/百へとむかう
詩は/滑稽だ」という、「世間知ラズ」からの抜粋で結ばれているが、僕なら「詩人の墓」という詩の中で「娘」が恋人の男(詩人)に向かって叫ぶ言葉を挙げたいところだ。

「『何か言って詩じゃないことを/なんでもいいから私に言って!』
男は黙ってうつむいていた/『言うことは何もないのね/あなたって人はからっぽなのよ/なにもかもあなたを通りすぎて行くだけ』」

 詩とは自己表現ではない、感情表現でもない。「無意味を作れるのは人間の強さですよね。AI(人工知能)によって脅かされる感覚はないですね」「自分のなかの『子供性』を大事にしています。子供の言葉のほうが、根源的なものに触れられるから」等と言われると、なるほどと思ってしまう。だが、だからといってもちろん誰にでも谷川のような詩が書けるわけではない。

 やはり、稀代の異能者であることは間違いないようだ。

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