夫婦別姓と憲法

食、趣味、その他

5月7日

 僕は在職中、「通称」として結婚前の旧姓を使っており、今も古くからの友人知人たちとの間では旧姓で通している。結婚した当時、旧姓使用をする人は圧倒的に女性が多かったが、それではあまりにも不公平だと思い、僕の方が戸籍上は妻の姓を名乗ることにした。当時、夫婦別姓を可能にする法改正が行われそうな機運が高まっていたので、その時に旧姓に戻せばいいとも考えていた。が、今に至るも夫婦別姓は実現していない。
 5月1日の朝日新聞耕論は、「夫婦別姓を阻む壁」と題して三氏の意見を載せていた。それぞれの考える「壁」についてごく簡略化すると、参議院議員の福島瑞穂は、自民党などの「保守」勢力の反対、憲法学者の高橋和之は、婚姻を「制度」と捉える最高裁の憲法解釈、企業経営者の辻愛沙子は、経済界や職場に残るジェンダーギャップの存在、つまり「男性中心的な会社社会」を挙げていた。政治家、法律家、経営者の前に立ちはだかるこの三つの壁は、結局同じものが形を変えて発現しているのではないかと思う。僕が考えるそれは「家制度の亡霊」である。
 ジェンダー平等を目指す人々に「バックラッシュ」と呼ばれる攻撃を仕掛ける「保守」勢力は、「家制度」の復活を目論む人たちだし、それはとりもなおさず男性中心社会である。婚姻を権利ではなく制度と捉え、夫婦同氏を強制する現行制度を合憲と判断した最高裁の判断は、憲法24条による「家制度」の廃止に対する理解が足りない。
 新憲法によって「家制度」が廃止されて久しいのに、いまだに結婚式や披露宴で「ご両家」と言ったり、婚姻届けを出すことを「入籍」と言ったりする慣習が残っている。僕が旧姓使用していることを知っている人の中には、ごく稀ではあるが、「婿養子なの?」と聞いてくる人もいた。こんなことは改めて言うまでもないが、妻の姓を選んだからといって妻の「家」に入ったわけではない。夫婦別氏が認められていない現状でも、婚姻とはあくまで新しい戸籍を作る事であって、どちらかの籍に入るわけではないからだ。「入籍」という言い方は家父長制時代の名残で、まさに「家制度の亡霊」なのだ。また、娘の配偶者を養子にすることは現代でも可能だが、おそらく僕に向かって「婿養子」と言った人はそんなことまで考えた訳ではあるまい。
 話がそれるが、アニメのマスオさんが「婿養子」だと思っている人が多いという話がある。彼などは妻の姓を名乗っているわけでもなく(彼の姓はフグ田だ)、妻の家族と同居しているだけだ。

 第24条
 1.婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2.配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 虚心にこの条文を読めば、婚姻によって一方が改姓を強いられる(ほとんどの場合女性)ことが、両性の本質的平等に反していることは明らかだと思うのだが。

 この四月からスタートした朝ドラ「虎に翼」では、初回に憲法14条が紹介された。

「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

 このドラマでは特に男女の平等が重要なわけだが、僕は「門地」に注目したい。この、あまり日常用いられない言葉の意味は、「家柄」だ。するとこれに真っ向から反するのが憲法第一章「天皇」ということになってしまうのではないか。天皇家は門地=家柄そのものだからだ。皇位継承問題で「保守」勢力は男系維持に固執している。彼らが最後まで守ろうとしている「家」が天皇家だからだろう。
 現代では、7割以上が象徴天皇制を支持しているというが、マスコミの皇室報道があまりに多く、かつ意図的だと感じている。報道される天皇や上皇の「ご一家」の様子も、まさに保守派の好む「家制度」を体現しているようにみえる。
 家制度の残滓という意味で、夫婦同氏の強制と「男系」皇室の存続がつながると考えるのは穿ちすぎであろうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました